悩める心に寄り添うティーチャー坊主

神奈川県山北町にある円通寺副住職の善浪邦元さんは、小学校教諭との二足のわらじを履くお坊さんだ。
多忙な毎日にもかかわらず、悩み相談サイト「hasunoha」では回答僧として多くの人の悩みに寄り添っている。
そんな邦元さんに今に至るまでのストーリーを聞いてみよう。

曹洞宗 龍雲山円通寺 善浪邦元 副住職

お坊さんになることについて当初は深く考えていませんでした

円通寺の住職の長男として生まれた邦元さん。自分が将来、お坊さんになることについて、いつごろから意識していましたか?

いつの間にかという感じですね。正月の檀家さんへの挨拶まわりをするときは、小学1年生のころから衣を着せられて、父と同行していたくらいですから、意識するしないにかかわらず、自然と自分はお坊さんになるんだと思うようになっていたと思います。
小学校の高学年のころには、曹洞宗の本山(横浜市・總持寺)で子ども向けの修行体験イベントがありまして、親のすすめで毎年の夏休みに参加していました。すると、自分以外の「お寺の子」の友だちができて、先輩たちが「得度」というものをしているなんて話を聞くわけです。そこで、自分もやったほうがいいだろうと軽い気持ちで得度しました。中学2年生のときです。

高校、大学と仏教系の駒沢大学に進学したのは、自然な選択だったんですね?

いや、今思うとその時点でも自分がお坊さんになることについて、深く考えていなかったと思います。それまでずっと田舎育ちでしたから、心の中には「東京の学校に通える」ということのほうが大きな部分を占めていました。
もちろん、夏休みや春休みなどの長期休暇期間には、子どものころの体験修行ではなくて、本職のお坊さんたちに近い修行をしていたわけですが、それでも「お坊さんになりたい」という気持ちはそれほど強くなかったです。

大学で教職課程を取得したのは、どうしてでしょう?

現在の住職である父も、かつて教員をやっていたんです。祖父は、私が生まれたときは亡くなっていましたが、やはり教員だったそうです。
ですから善浪家では「仏教と教育」は相反するものではなく、セットになっていて、お寺の規模からしても「教員とお坊さん」の二足のわらじを履く生活が2代にわたって続いていたんです。

円通寺の開創は1557年。現在の本堂は1892(明治26)年に再建されたもので、すべて壇信徒の布施行によって建立されたという。

「お坊さん」と「教師」という重責を背負って悩んだ日々

教員の道に進んだのも、積極的な選択ではなかったのですか?

そうですね。学生時代は教員以外の職に就くことも考えていましたので、「この職につきたい」と思える職業が見つかればよかったんですが、答えを先延ばしにするうちに卒業の年になってしまいました。
だから、大学卒業後はしばらく迷いの中にいました。本山での修行を終えて、正式に僧侶の資格を得たからといって「自分はお坊さんになったんだ」と強く自覚することができないんです。いちおう、袈裟の着方などはうまくなっていますが、着ている本人は「お坊さんのコスプレ」をしているような気分です。
教員のほうも、私は通信課程を履修して小学校教諭の資格を取ったんですが、採用枠は狭く、面接で「僧侶としての経験を活かした教員になりたいです」とアピールしてギリギリ採用されたようなものでした。お坊さんとしての自覚を持てないくせに、そのおかげで採用してもらったのですから、「自分は教育者としてふさわしいのか」ということについて、疑問を持つようになりました。

普通、人は年をかさねていきながら少しずつ成長していくものだと思いますが、邦元さんはまだ成長の途上で重責を背負ってしまったわけですね?

「お坊さん」も「教員」も、どちらも人を救う立場にある人ですよね。だから人に頼ることができず、ひとりで悶々と悩むしかありませんでした。
でも、未熟なままの状態でいくら考えても、答えが出るはずがありません。数年後には追いつめられて、ノイローゼのような状態になっていました。
そんなある日、妻に「カウンセリングを受けたみたら?」と薦められ、受けてみることにしたんです。

当時の邦元さんは、奥さんが心配するほど病んだ状態だったんですね?

そうは言ってもやはり、カウンセラーの門を叩くのにも抵抗感がありました。公立の学校には、生徒や教員の心のケアを担当するスクールカウンセラーがいますが、人の目を気にして学校から離れたところで開業しているカウンセラーを選んだりしたのは、その表れでしょう。
初対面のときにも悩みをすべて打ち明けることができず、「それほど深く悩んでいるわけではないんですけどね」と平気を装ってしまいました。お坊さんが、教員が人に悩みを打ち明けるなんてみっともないというプライドが邪魔をするわけです。そのプライドを打ち捨てるには、3度、4度も通わねばなりませんでした。
そうやって、カウンセラーの先生と少しずつ打ち解けられるようになったある日、「あなたは禅宗のお坊さんなんだから、坐禅とかマインドフルネスとか知ってるんじゃない?」と聞かれたんです。
そのとき、そうか、坐禅なら自分の悩みに向き合うのに丁度いいかもしれないと気づきまして。まさに灯台下暗し、です。

禅のおかげで私は救われました

禅に救いを求めるために、どのような手段をとったのですか?

最初はマインドフルネスの本を読んだり、本山で教わった作法で坐禅を組んだりしていましたが、それとは別に宗教関連の講演会などに出かけたりもしていました。すると、ある講演会で一緒に本山で修行をしていた先輩と再会しまして、その方に坐禅会を開いている老師を紹介されたんです。
月に1回、20人くらいの規模で開かれている坐禅会なんですが、あえて僧侶とは名乗らず、一般の方に混じって参加をしてみました。坐禅が終わると、法話の時間があって、老師は悟りの内容や坐禅の向き合い方などについて、わかりやすく解説してくれるんです。その坐禅会に何度か参加するうち、私の中で腑に落ちるものがありました。

老師の法話のどんなところが腑に落ちたんですか?

例えば坐禅はよく、「無」になることを目指していると言われます。頭に何の考えも浮かんでこない、心がからっぽになった状態だと一般的に思われています。でも、これを実現するのはすごくむずかしいことで、心はさまざまな思いを勝手気ままに生み出していきます。
これについて老師は、そのような思いを消すことが「無」につながるのではないとおっしゃるんです。つまり、善悪とか損得、好き嫌いといった価値基準でとらえて「消さねばならない」と考えるのではなく、あるがままに受け入れて手をつけていない様子が今ここに実際にある、そうした様子が「無」なんだということです。
その教えが疑いようもないことだと確信したとき、「僧侶とは、教育者とは立派な人物でなければならない」という考えに自ら縛られて悩んでいた自分が解放されたような気がしました。

その体験を経て、どのような変化が訪れましたか?

「お坊さん」とか「教育者」というのは肩書きに過ぎないのであって、そういう肩書きを脱ぎ捨てて、ひとりの「人間」として成長していけばいいんだと思えたことは、私にとって大きな発想の転換でした。
そのとき初めて、自分がお坊さんであることに感謝しました。この道を進んでいけばきっと、人として成長できると確信できたんです。

すでに跡取りとなる長男もいるが、僧侶になることを強いたりはしないという。「仏の教えは伝えていきますので、僧侶にならずともそのことを大事にして欲しいと思っています」と邦元さん

人の悩みに寄り添うことで自分も成長していく

ところで、邦元さんはお坊さんにネットで人生相談をできるQ&Aサイト「hasunoha(ハスノハ)」の回答僧をつとめられています。どんなきっかけで始められたんですか?

「hasunoha」は、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに誕生したサイトなんですが、その数年後に先輩僧侶からその存在を教えてもらい、人々の悩みに答えてみませんか?と誘われたんですが、当時は自分自身の悩みで頭がいっぱいだったので、参加することができませんでした。
積極的に参加するようになったのは、6~7年前くらいからです。

サイト内の邦元さんのプロフィールを見ると、これまで3733件のお悩みに回答し、SNSの「いいね!」に相当する「有り難し」が4万3776に達しています(2022年1月現在)。どんなお悩みが多いですか?

職場の上司・部下の問題や恋人との恋愛問題、夫婦間の仲など、やはり人間関係の悩みが多いですね。
なぜそういう悩みが多いのかというと、人間関係というのは自分の思い通りにならないことがほとんどだからだと思うんです。ですから、禅の教えに沿いながら、「他人を自分の思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐすことをお薦めしています。
私自身、大きな悩みを抱えてきた経験がありますので、多くの方の悩みに寄り添うことにやり甲斐を感じています。
あと、仏教について疑問に思っていることを質問される方もいらっしゃいます。
例えば「なんでお坊さんになったんですか?」という質問には「お坊さんは職業ではないです」と回答しました。そして、私にとってお坊さんは、生き方なんだと説明しました。

坊さんがこたえる悩み相談サイト「hasunoha」の回答僧としても活動している邦元さん。多忙な日々の間で人々の悩みに寄り添っている

子どもたちの成長に触れる喜び

小学校の教師としての邦元さんは、どんな気持ちで日々働いていますか?

こちらは自分の生活の糧にするための「職業」ですから、やるべきことを全力でやるだけです。小学校教諭というのは授業をするだけではなくて、授業の準備をしたり、報告書類を書いたりする手間が意外に多いんですね。つねにそんな仕事に追われて無我夢中の毎日です。
ただ、そんな中でも自分がお坊さんであることの影響は避けられないものなのかもしれません。生徒同士のケンカの仲裁をするときも「叩かれたからやり返すというのでは切りがないよ。だって、叩かれたら痛いでしょ。だから叩いたらまたやり返されてしまうよ」と、仏教の言葉は使わないまでも、考え方は仏教に近いものになっています。

生徒さんや同僚の先生たちは、邦元さんがお坊さんだということをご存じなんですか?

自分からそう名乗っているわけではありませんが、学校の中でそのことを知らない人はほとんどいないと思います。異動して学校が変わったときも、前の学校で一緒に働いていた同僚がそこにいたりして、自分がお坊さんだということは周知の事実でした。

先ほど、「お坊さんになってよかった」というお話を聞きましたが、「学校の先生になってよかった」と思うことはありますか?

初めて教えた児童は、もう20歳を過ぎています。中にはいまだに年賀状のやりとりをしている子もいるんですが、「先生に教えられたことは、当時は意味がわからなかったけど、今になって理解できるようになりました。おかげで悩みを解決できました」と書かれた年賀状を受けとったときはうれしかったですね。お坊さんと教員という二足のわらじは案外、相性がいいのかもしれません。

月刊仏事 3月号に掲載されています

掲載記事

お寺
2022.03.10