浄土真宗本願寺派
白鳳凰山 恩榮寺(石川・加賀市)
PCやスマートフォンで「彼岸寺」というお寺のサイトを開くと、まず目に飛び込んでくるのは、黄色を基調にした印象的なヘッダー。
おそらく大半の僧侶が胸に描く、お寺のあるべき姿がそこにイメージイラストとして描かれている。
現在この彼岸寺の代表を務めるのが日下賢裕氏。日本屈指の温泉郷である石川県・山中温泉の恩榮寺の住職を昨年、先代から引き継いだばかり。江戸時代初期から続く歴史あるお寺と2003年に創設されたインターネット寺院。双方のトップを兼任しつつ、どんな思いで変わりゆく時代に臨んでいるのだろうか。
山中温泉ゆげ街道のお寺
ゆげ街道沿いの由緒あるお寺
山中温泉の中心街にあるメインストリート「ゆげ街道」。総湯菊の湯から、山中温泉再興の祖が祀られている長谷部神社辺りまで伸びる道のことだ。恩榮寺はこの街道沿いにある浄土真宗本願寺派のお寺で、もともとは江戸時代の初め、慶長年間に現在の能美市に建立されたが、享保年間(江戸時代中期)に火事で伽藍を焼失。現在の地に「恩榮寺」という現在に続く寺号で再興された。山中温泉に移ってからでも280年、それ以前を含めると400年。日下住職はその由緒あるお寺の、令和以降の世への継承を任された。
コロナ禍で住職継承法要延期
「正式にご本山から辞令を受けたのが2019年の8月。オフィシャルな住職として変わりましたと公言したのは2020年の1月1日からです。それで5月に継承法要を予定していたのですが延期になってしまいまして」
残念そうにそう語る日下住職。石川県では感染者数・死者数を見る限り、新型コロナウィルスの影響は他府県に比べれば低いが、それでも有名観光地である山中温泉のダメージを考えると法要を開くことは難しいようだ。
彼岸寺におけるオンライン活動
インターネット寺院とは?
恩榮寺と別に日下代表が代表者となっているのが彼岸寺だ。「インターネット寺院?」と筆者も最初は戸惑ったが、そうした疑問に対してちゃんと紹介文も載っている。
お寺を名乗りながらも、伽藍もなければ、お葬式や法事を勤めるわけでもなく、坐禅をする場でもありません。もしかしたら「ただのWebマガジンではないか?」という声もあるかもしれません
彼岸寺は、お寺というものは「無数のご縁の集積」によって成り立ち、同時に「誰もが自分の仏教を語り、共にできる場」であると考えます。だからこそ彼岸寺はお寺を名乗っているのです。彼岸寺は誰もが、一人ひとりの仏教をのびのびと語り、共有できる、そんなお寺です
平易な文章によって説かれたお寺のコンセプトに共感を覚える人も多いだろう。そして驚くのは開設が18年前の2003年となっていること。まだ世の中にインターネットが十分普及しておらず、TwitterもFacebookもYouTubeもなく、スマートフォンも発売されていなかった時代だ。そんな昔からお坊さんがインターネットを駆使して情報発信を行っていたことは大変先進的だ。
初期メンバーから代表へ
日下住職はその彼岸寺の開祖である松本紹圭氏(東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長)に誘われて初期からライターとして参加し、コラムなどを寄稿していた。当時から非常に個性的というか、オリジナリティあふれる活動的なお坊さん、革新的なアイデアを持った人たちが参加しており、現在、宗派を超えて全国で多くのお寺が賛同し協力している「お寺おやつクラブ」「寺社フェス向源」なども彼岸寺に関わった僧侶たちが生み出した活動だ。
そんな中で日下住職が、貴重なメディア活動を続けてきた彼岸寺の代表を引き受けることになったのは2016年6月。先駆者たちの活躍を目の当たりにしてきたこと、そして当時はまだ副住職だったこともあり、かなりのプレッシャーを感じたという。
「けれども自分が代表としてオリジナリティとか、強烈な個性みたいなものを出す必要はないと思いました。これまで彼岸寺に関わった方たちがいつでも利用して、イベントなどの告知なり、現在の活動状況などを広く、自由に発信できるプラットフォームのようなサイトにできたらいいんじゃないかということで他のメンバーと相談して方針を決めました」
新しい彼岸寺の開設
そして翌年からサイトを大幅にリニューアルし、新たな彼岸寺をスタートさせた。
仏教を大切にされる人たちが、これまでよりもっと集える場、それぞれの仏教を語り、共にできるプラットフォームとして、彼岸寺は生まれ変わります。仏教を発信したい人、共に仏教を語りたい人、仏教の教えを聞きたい人。宗派も、僧俗も超えて、仏教と共に生きる人の集うお寺として、彼岸寺は皆さんと共に作られていきます。
一人でも多くの人に仏教とのご縁=「仏縁」に出会ってほしいと願って再スタートした彼岸寺は、現在、日下住職を含めて4人のメンバーで運営。寄稿者は26人に上り、毎日にように内容の濃い記事が投稿されている。
それ以外にも飛び込みで単発記事を書かせてほしい、イベントを開くので告知を載せてほしいといった申し込みにも応えている。資格や条件は一切ない。もちろん投稿内容はメンバーがチェックするが、きまりさえ守れば自由に発信できる仕組みだ。また、注目に値する活動をしているお寺に対して、メンバーのほうから声をかけて寄稿を依頼することもあるという。宗派は問わずさらに僧侶である必要もなく、仏教に何らかの形で関わっている人なら誰でも参加可能なのである。
昨年来のコロナ禍でお寺のオンライン活動が増え、SNSやYouTubeの活用とともに、彼岸寺の存在感は再びクローズアップされてきている。
恩榮寺と山中温泉・山中漆器
星空の格天井
一方、恩榮寺は歴史と伝統に裏付けられた格式高いお寺だ。加賀の文化である群青の壁や金箔、そして伝統工芸・山中塗の技術を用いた「星空の格天井」を持つ本堂・内陣は、リアル空間ならではの迫力・圧倒的な美しさで訪れる人を包みこむ。この空間に魅了されてお寺をイベント会場などに提供してほしいという申し込みも後を絶たないようだ。
新住職の課題
この寺を委ねられてまだ日が浅い日下住職は、自分なりの課題を持って維持・発展させる活動に取り組んでいる。
「やっぱり先代、先々代が培ってきたものを大事にしていかなくてはいけないなということがまず一つあります。だから父が力を入れていた、地域の子供を対象にした行事なんかは特にそうですね。子供の頃、お寺に遊びに行ったという記憶を残すことはとても大切だと思います。あとはやっぱり基本的なところ、浄土真宗のお寺はよく「聞
法(仏の教えを聴聞すること)の道場」と呼ばれるんですけど、その役割をしっかり果たしていく。それプラス、自分と同世代やさらに若い人たちに仏教が届くような工
夫を続けていくこと。彼岸寺の活動とも関係していますが、これはわたしの中の課題としてずっとあります」
地域産業とともに生きる
恩榮寺は毎年春の花まつりの季節に開く子どもの会をはじめ、コンサートやカレーの会、消しゴムはんこづくりワークショップなど、さまざまなイベントを行ってきた。
「生き方見本市」は持ち込みの企画で、世の中にはいろんな生き方があり、どんな生き方も肯定していこうというコンセプトのもと、いろんな職業の人の本堂内陣
花ま話を聞くというトークライブ&交流会で、他の人たちとともに日下住職自身も僧侶の生き方を話し、新鮮な感動があったという。
また2019年には山中漆器組合を中心に、観光協会、旅館組合などが協力して行った「アラウンド」というイベントにも会場を提供した。山中漆器は日本有数の伝統工芸品で、県内の漆器の3大産地として「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」に並ぶ「木地の山中」と呼ばれている。古くから木きじし地師が多く、挽ひきもの物木地では全国一の生産量を誇っている。
「地域と一緒にお寺で何かをするとういことは、今まであまりやってこなかったので、こういう形でお寺に来てもらうというのも大事だなと一つ感じましたね。そういうところでもっと新しいことはできるなと考えています」
今後は地域との関わり合いをもっと深め、山中温泉の観光産業に少しでも協力できるような活動も行っていきたいと日下住職は語った。