有田焼の産地として知られる佐賀県有田町で、創業130年を迎えた窯元「深川製磁」。
同社は15年ほど前から、長年にわたり培ってきたやきものづくりの高い技術力を生かして、高品質な骨壺の製造にも注力しているという。400年超の歴史を持つ有田焼の伝統を継承する同社は、有田でも稀有な「原料から成形、焼成まで」の一貫生産の工房と自社を中心に販売を担う体制のもと、どのようにして高品質な磁器で世界に名を馳せるようになったのか。そして、その長い歴史と技術力を、骨壺という商品にどう結実させたのか。
有田の深川製磁工房を訪ねつつ、リポートする。(文:有馬ゆえ/写真:中川寛文)

稀有な“自社工房での一貫生産”で世界に羽ばたく
有田焼窯元“130年の歴史”と進取の気性
世界的に知られた磁器、「有田焼」の産地である佐賀県西松浦郡有田町。1616(元和2)年に日本で初めて磁器が作られたといわれるこの地で、深川製磁のルーツである深川家は1650年頃から代々、窯焚き業を営んできた。初代の深川忠次が会社としての深川製磁を立ち上げたのは、1894(明治27)年。深川忠次の玄孫にあたる現社長の深川真樹生氏が語る。
「当時にしては珍しく英語に堪能だった忠次は、ヨーロッパ各国を周り、欧州の陶磁器メーカーや美術館等で、やきものづくりの先進技術とデザインを学びます。それを有田焼の伝統的な技術と融合して世界一のやきものをつくろうと、深川製磁を立ち上げました」(深川氏)
忠次がこだわったのは、透明感のある白磁を生み出す1350度の高温還元焼成と、やきものづくりすべての工程を工房内で一貫生産できる生産体制を築くこと。これは今に至るまで続く深川製磁のこだわりでもある。
「有田焼は伝統的に、職人集団が各工程を担う分業制で生産されていました。しかし忠次は、世界最高品質のやきものづくりのためには、優れたオーケストラのように、美感を持った職人同士が相互にコミュニケーションを取り合うことが不可欠だと考え、一貫生産できる工房を整備したといいます」(同)

その品質が評価され、明治期には「宮内庁御用達」を拝命し、宮内庁に洋食器を上納することに。その背景には、他方で忠次が進めた積極的な“世界戦略”がある。1900(明治33)年に開催されたパリ万国博覧会に、3年あまりをかけて制作した「色絵龍鳳凰文蓋付大壷」を出展。世界の工芸品が集まる中で、金牌を受賞。その後も各国の万国博覧会で国際的な注目を集め、ロンドン、パリ、ハンブルグ、ミラノ、ブリュッセルなどに代理店を開設し、花瓶や飾り皿、シャンデリアベース、洋食器などを輸出した。
「特に明治期は欧州への輸出が主でしたが、戦後は国内の百貨店を中心にやきものの販売をしています。やきものは生活に密着しているので、ライフスタイルの変化によって需要も変化します。戦後は結婚式の引き出物や内祝い、敬老の日などのパーソナルギフト、企業の記念品などに使っていただく機会が増加。近年はギフト需要のほか、日常的な食器としても愛用されています。ここ数年は、来日して店舗を訪れる海外からのファンの方も増えていますね」(同)
明治から続く技術を受け継ぎ、国家資格にあたる「伝統工芸士」を持つ職人が有田では最多の7人も在籍している深川製磁。その工房では今も、世界最高峰のやきものづくりを目指して挑戦が続いている。

微細に砕き、水分を抜きながら練り上げて粘土へと精製し、それぞれの商品へと形成していくのである。
骨壺は故人が最後に入る“安らぎの部屋”
職人の手仕事が生む、最高の美をお客様に
明治期から現代まで皇室に食器を納め続ける一方で、時代時代で新しいニーズに応え、国内外に高品質な商品を送り出してきた深川製磁。その背景には、有田焼には珍しい生産体制がある。
「深川製磁創業者の深川忠次は、海外の百貨店に商品を持って売り込みに行き、コラボレーションを果たすなど、自分たちの商品をどう広めるか、いかにお客様の声を生かして商品づくりをするかという視点を持っていました。そのため、当時の有田焼窯元の多くは製造のみを手がける中、自社で製造、販売をともに手がけることにこだわったのです」(現社長・深川真樹生氏)
そんな深川製磁が15年ほど前から制作を始めたのが、骨壺だ。
「以前も特別なオーダーがあれば骨壺も制作しておりましたが、15年ほど前、『こんな品質の骨壺があれば』というお客様からの声が多数上がってきたことをきっかけに、一般商品としての骨壺の制作も始めました。同じ時期、弊社の関係者に特注の骨壺を制作した際、列席者の方から『私もこんな骨壺に入ってみたい』という声を多くいただいたことも後押しとなりましたね」(同)
制作開始当初から、「“ いかにも骨壺”といった、悲しみを感じさせるような壺はつくらない」という信念を持ち、伝統技術を生かした品質の高い骨壺作りを目指した。こうしてできあがった工芸作品のような趣を持った骨壺を、深川製磁は「やすらぎの壺」と名付けた。
「私たちは骨壺が、故人が最後に入る“安らぎの部屋”であると同時に、遺族の悲しみを少しでも和らげる一助となってくれればと願っているのです」(同)

今年に社長に就任したばかりの、46歳の若きトップだ。
ひとつひとつ丁寧な手仕事をほどこされた「やすらぎの壺」は、職人たちが削りを入れながら実現したやわらかな丸みを持つフォルムと、1350度の高温度還元焼成によって生み出される透明感のある白磁、そしてそこに表現された魅力的な絵付けが特徴だ。
「『やすらぎの壺』で人気なのは、最初に販売を開始した3種類。まず『瑠璃さくら』と『朱さくら』は、日本人にとって特別な花である“さくら”を、有田焼伝統の上絵技法『盛り絵の具』と金彩とで描いています。同じく人気の『クリスマスローズ」の花言葉は、『私を忘れないで』『追憶』。高貴な色といわれる淡い紫色でボディを染めました」(同)
もともと軽く丈夫で耐久性に優れている有田焼だが、機能面での工夫も。湿度の高い日本の気候では結露現象によって蓋をした壺の中に水分が溜まりやすいが、それを防ぐために骨壺には水抜き用の穴を開けている。またお骨が穴からこぼれだすのを防ぐため、壺に合うようデザインされた脚付きの水抜き盤も付属している。
一部のデザインを除き、地域の風習や用途に合わせられるようサイズは3寸壺、5寸壺、6寸壺、7寸壺に加え、手元供養用に2寸の分骨壺も取りそろえている。
「私たちはひとつひとつ大切に制作した骨壺が、工芸作品や食器と同様に、時を超え、心を潤し続ける存在になってくれることを願っています」(同)
骨壺の新しいラインナップも開発中だという深川製磁。やきものづくりの可能性に挑んできた130年の同社の歴史は、これからも続いていく。
