宗教と医学の力で人を支えるデンタル坊主

浄土宗 龍興院

大島慎也副住職

浄土宗龍興院のいちばんの特徴は、住職と副住職が2代にわたって歯科医をつとめているということだ。
歯科医の道に進んだのは住職が最初だが、その長男である副住職の大島慎也さんはなぜ父と同じ道に進んだのだろうか?
東京都墨田区の錦糸町にある龍興院を訪ねて、歯科医の道を選んだ理由、お寺としての新たな取り組みなどについて、じっくり話を聞いてみよう。

浄土宗 龍興院 大島慎也副住職

父とともに歩む歯科医の道

世の中にはいろいろなお坊さんがいらっしゃいますが、歯科医のお坊さんというのは、かなり珍しいですね。

実は、このスタイルは父の代からなんです。父は次男でしたから、祖父が住職をつとめる龍興院を継ぐつもりがないまま歯科医になったんですが、長男、つまり僕の伯父が別のお寺の住職になったので龍興院は跡取りがいなくなり、すでに大島歯科医院(現・日本橋すこやか歯科)を開業した父がその役を引き受けたんです。
それが、私が小学生のころの話で、これを境に一家でお寺に住むようにもなりました。「歯医者の息子」だった私はいきなり「お坊さんの息子」にもなったわけで、大変驚きました。

お坊さんになるのに抵抗感はありませんでしたか?

嫌だった時期もありましたよ。
ただ、父のようにお坊さん以外の職業は自分で選べるので、ある時期から嫌だとは思わなくなりました。ちなみに私の祖父は、学校の教師と住職の二足のわらじを履いていました。

お父さんと同じ、歯科医の道に進んだのはどうしてですか?

大学に入学するころまでは、歯科医になろうと思ってはいませんでした。
ただ、最初に入った大学の法学部に入ったことが誤算を生みました。卒業後、司法試験に合格して法曹界で働く実力も意欲もなく、かといってどこかの企業に就職する気にもなれず、進路に迷ってしまったんです。そんな中、それまでずっと背中を見てきた父を思い出して同じ道に進む決意をしました。

歯科医師免許を取得後は、ふたつ目の母校である日本歯科大学の付属病院に勤務していたそうですね。

そうです。お坊さんになるための修行は先延ばしにして、まずは歯科医として一人前になる道を選んだわけです。
ところが、あることをきっかけにお坊さんになることを真剣に考えるようになりました。

東日本大震災がもたらした気づき

そのきっかけとは?

2011年3月11日の東日本大震災です。このとき、被災地の惨状を知った多くの人が「自分に何かやれることはないか?」ということを考えたと思うんですが、私も例外ではありませんでした。
実際、勤務していた大学病院でも被災地支援をする歯科診療チームが立ち上がって私は真っ先に志願したんです。ところが、上司から「被災地の資源は限られている。君のような未熟な歯科医がいくより、経験豊富な歯科医が行くほうがいい」と言われてしまったんです。まったく反論の余地のない意見で、納得するしかありませんでした。

歯がゆい思いだったでしょうね?

そうですね。被災地での先輩たちの活躍を耳にしながら、留守番の歯科医として病院勤務している間は、心おだやかではありませんでした。
ただ、日が経つうち、被災地を訪ねて読経をしたり、親しい人を亡くされた方の相談相手になっているお坊さんがいる、ということを知ったんです。悲しみを抱えた人に寄り添い、宗教の力で心を癒すという役割がお坊さんにはあるんだということを改めて感じて、目を開かれた思いがしました。
もちろん、歯科医として一人前になることは大前提でしたが、先延ばしにしていた「お坊さんになる」という将来の道がこのとき、はっきりとした形になって見えてきました。

頭にすんなり入ってきた仏の教え

その後、大学病院を退職してお父さんが院長をつとめる歯科医院に移った慎也さんは、お坊さんになるための修行を始められます。そこで教えられる仏教には、どんな印象を持ちましたか?

医学の世界では「EvidenceBasedMedicine(根拠に基づく医療)」といって、患者さんの治療を行う際には明らかな効果や安全性が認められた治療法や薬を利用するという原則があります。ところが、仏教の中にもそうした科学的態度を発見できたのは私にとって、とても意外なことでした。

それは、どういうことですか?

仏教は、この世の苦から離れる方法を説いた教えですが、四苦八苦という言葉でわかる通り、お釈迦さまは苦をわかりやすく分類してそこから離れる道をお示ししています。
私の宗派である浄土宗の宗祖、法然上人もその教えを理路整然と説いています。例えば、迷いの生から逃れるためには、「聖道門(修行によって悟りを開く道)」と「浄土門(浄土に往生して仏となる道)」があるけれども、「浄土門」を選びなさい。次に、「浄土門」に入るには「正行」と「雑行」という行いがあるけれども、「正行」を選びなさい、という具合に。とてもわかりやすく、説得力のある教えで、乾いたスポンジが水を吸うかのように頭に入ってきました。

お坊さんと歯科医の二足のわらじを履くようになったのは、どんなきっかけで?

お坊さんとしての修行がもう少しで終わりそうなころの2013年、父が心筋梗塞で倒れたんです。幸いなことに治療・入院を経て元の生活に戻ることができましたが、少しでも助けになりたいとお寺と歯科医院の両方のお手伝いをすることになりました。このときばかりは、父と同じ歯科医の道を選んでおいてよかったなと思いましたね。

歯科医として高齢者の「お口の健康」に貢献

しかし、お坊さんの仕事と、歯科医の仕事を両立させるのは大変でしょう?

そうですね。もしかすると父が病気になったのも、日々の激務が影響したからかもしれません。ただ、私には弟がいまして、歯科医の道に進んでいましたので、うまく役割分担をすることができました。
というのも、お寺のおつとめは私が引き受け、弟には父の歯科医院の院長になってもらうことができたからです。医院名はこのとき、大島歯科医院から日本橋すこやか歯科に改めました。
歯科医院での私の仕事は「お手伝い」ですから、お坊さんの仕事と無理なく両立させることができたわけです。お寺における弟の立場もそれと同じで、法要や葬儀などの際にできることを手伝ってもらっています。

日本橋すこやか歯科では、どんなお手伝いをしているんですか?

最初のころは外来診療も担当していましたが、現在は主に訪問診療を担当しています。
例えば、寝たきりになったり、通院するのがむずかしくなった患者さんのご自宅を訪問して、噛みあわせが悪くなった入れ歯を治したり、虫歯を予防するための治療などを行っています。
高齢者の方々にとって、「お口の健康」は、快適な暮らしに直結する大切なものです。入れ歯にすると、固い食べ物を避けて、やわらかいものばかり食べるようになる傾向がありますが、しっかり噛んで食べることで脳を刺激し、認知症のリスクを低減することが知られていますし、栄養バランスのよい食生活にも結びつきます。また、お口の中にばい菌が多いと、誤嚥性肺炎をおこしたときに肺の中に菌がまわってしまい、病気を重症化するリスクが高まります。

患者さんは、慎也さんがお坊さんでもあることをご存知なんですか?

質問されれば、素直に答えています。ただ、袈裟を身につけているわけではないので聞かれることはほとんどないですね。中には髪形から私がお坊さんだということに気づいている方もいらっしゃるかもしれませんが、単にファッションでこういう頭にしていると思っている方のほうが多いでしょうね。
私が担当している患者さんの中には、一人暮らしのお年寄りも多くなりました。そういう方から「一日中誰とも会話をしていない」なんて話も聞くんですが、人とのつながりは生きる張り合いにつながりますので診療以外の世間話も積極的にするようにしています。

弟さんが院長をつとめる日本橋すこやか歯科では、在宅診療を担当している

お寺は「終活」と好相性の場

ところで、龍興院の副住職としてのおつとめは、すぐに身についたのですか?

日々のおつとめから始まって、年間行事や法要などの作法は祖父が築き、それを父が受け継いで形になってきたものです。従って、これを正しく継承することに集中すればいいんだという確信がありましたから、迷いのようなものはありませんでした。
その中で、初めて私自身が発信する取り組みとして、2019年から始めた「終活カフェ」は、準備も注意深く行いました。

  • 龍興院の本堂での「終活カフェ」での様子
  • コロナ禍ではリモート開催だが、毎回盛況だ
※このインタビューは短縮版です。続きは、本誌にてお楽しみください。

月刊仏事 11月号に掲載されています

掲載記事

お寺
2021.11.16