日蓮宗 長覚山 高応寺(埼玉県 三郷市)酒井 菜法 住職
「開かれたお寺」として、多彩な活動を行っている高応寺。酒さかい井菜法住職は、400年の歴史を持つこの寺で初めての女性住職だ。母親として子供を育てながらの活動は革新的と言えるが、行動の根底には代々受け継がれてきた「学問寺」の伝統を守りたいという思いがある。魂のこもった奮闘劇は、この寺に集う多くの人々の心を揺るがせ、また、ともに暮らす家族の人生をも大きく動かし始めた。
高応寺のヒストリー 菜法住職のストーリー
学問寺としての伝統
JR三郷駅から徒歩6分。駅前から続く大通りから住宅街に入ると、一種独特の「お寺の空気」が漂ってくる。
江戸時代のはじめ、学問の誉れ高かった真應院日達上人が開いた高応寺は「学問寺」として大きな役割を果たしてきた。住職は代々学者が務め、先代住職の三友健容氏は立正大学名誉教授・中村元東方学術賞授賞(仏教学の権威ある賞)。酒井住職の父でもある。もともと世襲でない形で継承されてきたが、今回は三友家内の話し合いで兄や弟でなく、娘が継ぐことになった。
「お寺の子として育ち、毎日お経を聴いて仏様に手を合わせるのが当たり前の生活でしたが、子供の頃は僧侶になろうとは考えていませんでした」
留学時のカソリックファミリー
しかし、高校時代の留学体験が彼女を変えた。1992年。米国オレゴン州ポートランド。ホストファミリーは敬虔なカソリック教徒の家だった。ホストマザーは学校に隣接する教会内の緩和ケア病棟でナースの仕事をしており、その職場の見学でチャプレン(施設で働く聖職者)の様子を見て衝撃を受けた(その後、住職になってから彼女は臨床宗教師の資格を取り、病院での活動も行っている)。
その一方でホストマザーに「自分は無宗教だ」と話したところ、「お寺の子なのに信仰心も祈りの心も持っていないのか」と、強くたしなめられ、日曜のミサにも連れて行ってもらえなくなった。非常なショックを受けた。
アメリカにおけるその二つの体験が、宗教者になって宗門、ひいては社会の役に立たなくては、という気持ちに育っていったのだろう。
仏様が幼い子供を介して母の心を動かした
その後、大学を出て海運業の会社の国際営業部に務めるサラリーマンの夫と結婚。東京都内で宗務院に勤務しながら子育てに勤しむことになった。しかし、それがむしろ彼女を仏教の道に引き戻すことになった。
「子どもに僧風教育をしたいという思いが強く湧き上がったのです。自分と同じように、お寺の子ならではの経験をさせたかった。お寺を守る者の覚悟を、子どもの時から肌身に感じて知っていてほしい――そういう思いに駆られました」。
一度起ったその衝動は抑えることが出来ず、夫を説得。夫はお寺における活動には一切関わらないことを条件に承諾し、家族そろって高応寺に引っ越した。彼女は生まれ育ったお寺で、子どもとともに僧侶としての生活を始め、第一線を退くことを決意した父から住職の大役を引き継いだのである。
「自分が運命を切り開いたわけでなく、仏様に導かれてここにたどり着いたのです」
さらりとそう言ってのける酒井住職。仏様が幼い子供の姿を借りて彼女の心を動かしたのかもしれない。高応寺のホームページ(「寺子屋ブッダ」が運営する「まち寺」)のトップには、幼少時の子供たちの合掌する姿(10年以上前の震災法要の様子)がアイコンとして用いられている。子供たちは9歳で得度し沙彌になるとお葬式につれていき、ご遺族の許可を得て、脇座でいっしょにお経を唱えご遺体にお花を手向けてきたという。男児がいるのに女児も得度することはまだ珍しい世界だ。
開かれたお寺としての活動
人々を救済する目的でお寺を身近なサードプレイスとして開放し、以降15年あまりにわたる酒井住職の多彩な活躍が始まった。
価値あるサードプレイスとして様々な催しを開く
檀家にJAXAの元理事がいたご縁でスタートした「宇宙を語る会」では、教育委員会の後援を得て宇宙関連の専門家たちが三郷市の子供たちに宇宙についてさまざまなテーマで講演。また、育児に勤しむ母親を集めて助産師と共にベビーマッサージ教室も行った。
そんな折、2011年3月に東日本大震災が発生。三郷市が福島県広野町の被災者を受け入れたことから、高応寺では49日法要を実施し、本堂には100人を超える被災者の人たちが集まった。そこでは酒井住職が地元企業にみずから掛け合って提供してもらったお菓子やコーヒーをふるまい、復興支援員と共に被災者の集いを七回忌まで毎年開始した。単独で事業を行うのでなく、できる限り地域の人や団体の協力・参加を促し、救済の経験を共有するのが酒井流である。
その後、訪問看護ステーションと共にがんを患った人たちの心を癒すがんカフェ、オーガニックに特化したマルシェ、地域包括支援センターと連携した介護者サロン、調理師と地域で支援する子ども食堂、外国人修行体験、中学生職業体験、不登校支援、さらにヨガ教室、音楽会、演劇公演、ホタルの夕べなど、さまざまなイベントが高応寺で開かれるようになった。
「多くは主催者がいて、それを高応寺が共同するといった形で行っています。より多くの人たちと関わることで救済が増えると思うので、すべてを自分の主催として行うのはよくないと考えています。ただし、主催者が営利主義だったり、お寺を単なるレンタルスペースとして見做しているような場合はお断りしています。そこは私がちゃんと判断します」
他にも企業向けに、ストレスケアのためにマインドフルネスの講習(オリジナルプログラムを開発)を行なったり、主婦層向けにそのマインドフルネスの理論を説いて悩みを解決する方法を説く本を出版したりもした。