滝の石材設計株式会社 代表取締役 花川東久氏
巨大な33体のモアイ像やストーンヘンジ、高さ13.5メートルの大仏(頭大仏)などテーマパークを思わせる一大ブランド霊園に成長した真駒内滝野霊園。2012年4月には、公益法人制度改革にともない、墓所・墓石販売部門が分離独立、花川東久氏が代表取締役に就任。同社は現在、墓石建立実績が北海道NO.1を誇る。今号では、同園の成長を40年前の開園当時からつぶさに見続けてきた、滝の石材設計株式会社の花川東久社長に真駒内滝野霊園の成長までの経緯と思いを語っていただいた。
40年前は道も一本でシカもいるような原生林
真駒内滝野霊園は10年ほど前に一度訪れていますが、今や一大観光スポットになっているそうですね。
花川:そうですね。国内にとどまらず、中国、台湾、香港、バンコク、フィリピンなどの方々が訪れてくださいます。最初は、大仏とモアイ像のある札幌市の霊園でしたが、全道区になり、全国区になり、海外からの方がいらっしゃる観光スポットになりました。
ただ、現在はご存じの通りのコロナ禍ですので、観光にこられる方は少なくなっていますね。
ところで開園から40周年を迎えられましたが、花川社長は、霊園業界に携わられてどれくらいになりますか。
花川:私自身は霊園に携わって22年ですが、当時はグループ会社に在籍していまして、それを含めると42年になります。当グループは、お墓やゴルフ場、スーパーなどを扱っておりまして、最初はゴルフ場におりました。
42年前に、当霊園の起工式、地鎮祭が行われまして、ゴルフ場にいた私も出席することになりました。私は網走出身なのですが、地元のお墓といいますと100基あるかないかというところです。一方、起工式に出席した当時、ここはまだうっそうとした原生林で、この広い土地で一体何をするのかと思いましたね。
霊園関係でいらっしゃった方の中には、ゴルフをされる方もおられましたので、その対応をするなど繋がりはずっとありました。
厳密には霊園とは関係がありませんでした。直接かかわるようになったのは、22年前からですね。
22年前ですと、すでにモアイ像が建立されていましたか。
花川:ええ、モアイ像はありました。起工式に出席したときは、このような霊園になるとは思ってもいませんでした。先ほども申し上げましたが、原生林で道も一本、シカがいるようなところだったのです。
そのときに、ふと思いましたのは、「大鳳の志は凡人には分からず」(中国戦国時代の哲学者・荘子の言葉)、という言葉があるでしょう。私は、その頃のオーナー(名誉会長・髙橋幸雄氏)の考えていることがまったく理解できませんでした。ですから、この言葉がぴったりだと思います。正に北海道の人口520万人分の1先覚者の一人。髙橋幸雄氏、この人無くしては、お墓の販売は語れません。
モアイ像に続き新たなシンボルの大仏が加わる
その頃すでに、オーナーは現在の霊園の絵を描いていたのですね。
花川:40年前といいますと、大規模な霊園はありませんでした。近くに滝野墓地というところがあるのですが、そこが10基か20基か。そのような時代にここに霊園を作ったというのは、ちょっと考えられないですね。
その後、モアイ像や巨大な大仏が誕生するわけですね。
花川:そうですね。ゴルフ場にいた頃、霊園の営業マンが出入りしていて、お墓を売るのは大変だろうなとは思っていましたが、自分がやるなんて考えてもみませんでした(笑)。
ただ、私は東京で大学を卒業して商社に入ったのですが、そのときにユダヤ商法を少し勉強させていただいたんですよ。例えば、ビジネスでは「信用を積み重ねることが大切」とか。それが販売の役に立っていましたし、今でも役立っていると感じています。
2006年に開園25年を迎えたのに合わせて、高さ13.5メートルの「御霊供養大仏(現在の頭大仏)」の開眼をしました。大仏の建立には4,000トンの原石からの加工、製造、船積み、組み立てなど3年かかっています。
私も中国の工場で巨大大仏が作られているのを見て圧倒されました。さらに新たなシンボルが加わったわけですね。このころは大きな区画もどんどん売れた時代でしたよね。
花川:そうですね。規格は4㎡が主流で、和型か洋型の2種類とシンプルでした。私が入った当時は、2割が自由墓所、8割が規格墓所でした。それが今は、自由墓所は5%あるかないかです。それに、全部コンパクトになってきました。