偲ぶ心をかたちにするために。枠組みを超えて業界全体でチャレンジを。

仏壇や神仏具の専門店として創業300年を超える「お仏壇の日本堂」。長い歴史の中でかわらず、人と人の縁を大切に、お客様のお気持ちを真摯にうけとめて形にすることにこだわり続けている。8代目となる前田平八代表取締役社長に、弊社の代表取締役社長 COOの小林史生が話を伺った。

創業300有余年/叙勲・表彰多数の専門店

小林:前田社長は「お仏壇の日本堂」八代目ですが、300有余年続くビジネスの創業からの流れを教えていただけますでしょうか?

前田:弊社は、大元は「お御簾」の職人をしておりました。今から300年ぐらい前に、京都の御所に呼ばれまして、今でいうところの宮内庁御用達の仕事をさせていただきました。江戸時代の間はずっと京都の御所の出入りをさせていただいておりました。
大政奉還により江戸から明治に変わったときに、当時の天皇陛下が、昔の江戸城、今の皇居に入られるということで、「道中飾りつけ」という神様が進まれる場とお泊りになられる所を先回りして御所風に整えていくお役目をいただきました。
その後に皇居でもお仕事をいただいたので、五代目のときに東京支社ができました。そして六代目から八代目と御簾職人から寝具の卸、仏壇や仏具法具も取り扱うようになり、今があるという形になっております。

「江戸指物師」の伝統技術が生む東京仏壇の魅力

小林:「お仏壇の日本堂」様は、「東京仏壇」の伝統を長きに渡って継承されてらっしゃいますが、「東京仏壇」の発祥や魅力をお話しいただけますでしょうか?

前田:当時、家具などを作る「江戸指物」という技術がありました。その「江戸指物師」たちがお仏壇の需要が出たので、お仏壇を作り始めたというのが「東京仏壇」のはしりです。
おそらく、普通の木工の職人が平の大きな板を差込みで作った場合は、30年ぐらい経ったら出てこなくなります。作る時に木ごころを読んで、反らないように木と木を組み合わせて作っているので、今だに引戸はちゃんと動きますし、痩せてパタンと落ちてきてしまうことはないですし、引き出しはふいごになります。大きくて平らな木と木が反りやすいところも、仕入れたときと同じように動きます。

伝統技術と対を成す現代的なマーケティングへの姿勢

前田:仏壇屋としてホームページを作るのも比較的早い時期に取り組みました。紹介していただけるところが増えるのであればよいと考えたからです。折込チラシや新聞掲載広告、まちのフリーぺーパーに広告を載せるような感覚で、WEBの世界に広告をだしはじめたのがきっかけです。

小林:新しいマーケティング手法などについて社長は柔軟にやってみようかなというポリシーがあったのでしょうか?

前田:そうですね。お仏壇のことを毎日考えている方は仏壇屋さんくらいです。ですから、必要になった時に電話帳やインターネット、新聞のどこかを見たときに、うちを思い出していただける形にしておかないといけないと考えていました。

商材や企業の枠組を超えて「偲ぶ心をかたちにする」

小林:最後になりますが視聴者の方々に、社長の想いを一言いただけますでしょうか?

前田:葬儀屋さん、石屋さん、仏壇屋さんとありますが、みなさんも感じられていると思いますが、枠に当てはまらないお客様が近年非常に増えています。これは仏壇屋の仕事じゃない、これはうちの仕事じゃないと考えていると、結局、気持ちがどんどんなくなっていってしまいます。
お客様が希望しても形にするものがないとすれば、言うだけ無駄だと思われてしまいます。来ていただいて色々な話を聞かせていただいて、勉強させていただいて、餅は餅屋ですけれども、必ずそれにお応えするだけの経験や知識を、お店の方はお持ちでいらっしゃいます。
今まで拾ったことがない球でも拾っていく勇気を持って、絶対気持ちを無駄にしない、むげにしないという気持ちにしていきたいですし、業界としてもしていけたら素晴らしいのではないかと思います。

インタビューは月刊仏事 9月号に掲載されています

掲載記事

特集 仏壇
2022.09.27