『だめんず・うお〜か〜』で一躍人気漫画家となった倉田真由美さんは、すい臓がんで闘病していた夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さんを自宅で看取った。葬儀費用の見積もりは780万円。遺骨は今も自宅にある。祖母の盛大な葬儀、父の延命をめぐる後悔、そして夫との突然すぎる別れ――。この10年で3つの弔いを経験した倉田さんが、残された者の本音を語る。(文:樺山美夏 写真:西田周平)

夫は破天荒な映画プロデューサー
倉田真由美さんは、1971年福岡県生まれ。一橋大学商学部を卒業後、自身の恋愛遍歴を赤裸々に描いた漫画『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、「くらたま」の愛称でテレビのコメンテーターとしても親しまれてきた。2009年に映画プロデューサーの叶井俊太郎さんと結婚。叶井さんは、大ヒット仏映画『アメリ』の買い付けで名を馳せ、『いかレスラー』『日本以外全部沈没』といったカルト系作品を手がけたことで知られる、業界きっての破天荒人間だった。
2022年6月、叶井さんにすい臓がんが見つかる。「何もしなければ余命半年、長くて1年」という宣告を受けたが、抗がん剤を使わず、残された時間を好きなものを食べて生きる道を選んだ。結果的に余命宣告を何度も覆し、がん発覚から約1年9カ月後の2024年2月16日、自宅で息を引き取った。享年56。看取ったのは倉田さんと、叶井さんの妹の2人だった。
夫を喪って2年。「自分という人間が変わってしまった」と語る倉田さんに、祖母、父、夫という3人の弔いの経験と、残された者の後悔、そして今なお続く喪失感について聞いた。
葬儀費見積もり「780万円」の衝撃
倉田真由美(以下、倉田) 末期がんに侵され、自宅療養を選んだ夫とは、葬儀のことを一度も話し合えませんでした。元気なうちなら「もしどっちか死んだらどうする?」って軽く切り出せたかもしれないけど、体が弱っていく姿を毎日見ながら、そんな話はとてもできない。当然、想像はしますよ。どうなるんだろうなって。でも本人には言えなかったんです。
夫は死後のことには頓着しない人でした。「好きにしてくれたらいいよ」と言っていた。生きている間にやりたいことが山ほどある人だったから、自分の葬儀のことにまでエネルギーを割く気はなかったんでしょうね。
だけど実際に亡くなると、すぐに決めなきゃいけないことが次々押し寄せてくる。葬儀場はどこにするか、祭壇の花のグレード、香典返しは何を選ぶか。義理の妹と実の妹が仕切ってくれたから助かりましたけど、私自身は悲嘆に暮れるばかりで、「それでいい」とうなずくだけで精いっぱい。人生でいちばん悲しいことが起きた直後に、テキパキ判断できる人なんていませんよ。
葬儀代の最初の見積もりが780万円と聞いたときは、目玉が飛び出るほどびっくりしました。夫は映画の仕事をしていたから、通夜振る舞いにポップコーンを出したんですけど、50皿で11万円。映画館のように見送るという演出で、義妹たちが考えてくれたものでした。でもお金を出すのは私。
結局、最終的な費用は約500万円くらい。香典もいただいたので200万円くらいは持ち出しでしたが、400人も参列して夫の顔を見にきてくれたので、ちゃんと葬儀をしてよかったと思います。でも、せめて予算の上限だけは最初に決めておくべきでした。葬儀社の方にも、最初に予算の話をしてほしい。「だいたいどれくらいで収めたいですか?」と希望を聞いた上で提案してくれたら、遺族も「こんなはずじゃなかった」とあとで後悔することはなくなると思います。夫の遺産は20万円。お金の使い方は本当にひどかったですよ。自分はハイブランドを着て、私はしまむらや古着の服を着ていました。映画の配給会社を立ち上げて3億円の負債を抱えて倒産して、返済計画は600年分くらいあったのに、何も返さないまま逝ってしまった。亡くなる1カ月前には、通販で十数万円分も欲しいものを買っていました。でもそれもあの人らしいなと思う。夫は能天気なほど明るくて、人を楽しませるのが天才的にうまくて、娘には惜しみなく愛情を注いでいた。ダメなところも多かったけど、そういうところも含めて、唯一無二の人でした。私が持っていないものをたくさん持っていたからです。

葬儀を準備して死んだ祖母、喘ぎ苦しみ亡くなった父
倉田さんはこの10年で祖母、父、夫という3人の近しい身内を相次いで亡くしている。それぞれの葬儀と看取りには、まったく異なる記憶と感情が宿っていた。
倉田 祖母は山口県の萩市で暮らしていた人で、お茶、お花、日本舞踊、漢詩と、とにかく多趣味でした。大腸がんで寝たきりになったんですけど、頭はずっとしゃんとしていて、形見分けの段取りから葬儀の希望まで全部自分で決めていました。「お坊さんは5人呼んで。100人以上入る会場でひとりずつにお膳を出して振る舞って」と。87歳で亡くなって、友人もたくさん来て、にぎやかなお別れでした。葬儀費用も祖母が貯めていたお金で賄いました。死にゆく人のお手本のような最期でしたね。
それに対して父の死には後悔が残っています。両親は、お互い延命治療はしないと決めていたのに、父が心臓の発作で倒れて意識がなくなり、医者に「人工呼吸器をつけなければ死にます」と言われたとき、母がとっさに「つけてください」と言ってしまった。そこから3週間、意識のないまま父は苦しみ続け、口を開けて喘いでいるその姿を見た妹は、葬式のときよりも泣いていました。
一度つけた人工呼吸器は簡単には外せません。だから最初の判断がすべてなんです。夫の在宅医は「何かあっても救急車じゃなく、まず僕に連絡してください」と言ってくれた。あれは本当に救いでした。
だから元気なうちに、延命をどうするか、葬儀はどんな規模にしたいか、お金のことも含めて夫婦で話し合っておいたほうがいい。「どっちかが先に死んだらさ……」って、軽い調子で切り出せるほど元気なうちに。実際に病気に罹ってからでは、とてもそんな会話はできませんから。祖母のように自分で全部決めて費用まで準備しておくのが理想ですけど、せめて希望だけでも伝えておくことが、遺族への最大の思いやりだと思います。

夫へ最後にかけた言葉は「父ちゃん、息して」
叶井さんは、余命宣告を4回にわたり覆した。しかも、亡くなる前日まで自分でシャワーを浴び、最期の日までネットフリックスを観ていたという。その幕引きは、あまりにも唐突だった。
倉田 亡くなる前日の夜10時過ぎ、夫が珍しくしつこく「先生を呼んでくれ」と言い出したんです。いつものようにシャワーも浴びてトイレにも行けていたから、まさかと思いながら在宅医に連絡したら、先生が顔色を変えて「危篤です」と。「血圧が測れないほど低いのに座って話せていること自体が奇跡です」と言われました。
それでも、4回も余命宣告を覆してきた人だから、また持ち直すって信じていたんです。今度もきっと大丈夫だろう、と。実際、翌朝7時ごろに目を覚まして「昨日、俺やばかったよね」って言ったんですよ。でもそれが、最後のまともな会話でしたね。
昼すぎから意思疎通ができなくなったけれど、私はベッドの隣で原稿を書いていました。このまま死ぬとは思っていなかった。意識がないのにベッドの上でごろごろ動き回って、私が目を離した隙に自力でベッドから降りて床に座り込んでいた。半日前に危篤と言われた人がですよ。
夜に駆けつけた義妹と2人がかりでベッドに戻して、「やっと戻れたね」と声をかけたんです。そうしたら浅い呼吸を数回した後、次の息を吸わなくなった。「父ちゃん、息して!」って何度も叫びましたけど、二度と呼吸は戻りませんでした。ずっと同じ日が続くと思っていたのに、突然幕が下りてしまった。
在宅での看取りって、世間のイメージほど大変じゃなかったんです。少なくともうちの場合は。夫は抗がん剤を使わなかったから薬のダメージがなく、がんの進行だけで弱っていったので、ギリギリまで自分の足で動けた。結局、在宅医が来たのは最後の十日間だけで、それも毎日ではなかった。先生も「僕たちにできることはあまりないんですよ」とおっしゃっていて、本当にそうでしたね。病院よりも圧倒的に自由度が高いし、最後の日までネットフリックスを観て、好きなものを食べて、好きなように過ごせていた。私もこういう死に方をしたいと思いました。
ただ、彼が大好きだったファミチキのタルタルソース味が出たばかりのとき、買いにいったら売り切れで、彼が食べたいと言っていたもつ鍋も取り寄せたのに、私が留守で冷蔵庫に入れられなくてダメにしちゃった。ハワイにも行きたがっていたのに、それも叶えてあげられませんでした。やってあげられなかったことは、いつまでも心に引っかかるものです。



生前の叶井俊太郎さんの様子(倉田真由美さん提供)。1967年生まれの叶井さんは、映画配給会社に勤務していた2001年、フランス映画『アメリ』を大ヒットさせ、興行収入約16億円をたたき出した。2009年に倉田さんと結婚。みずから設立した会社は多額の負債を抱えて破産、私生活でも離婚歴3回という“破天荒な男”であった。
いちばんの後悔は、遺髪を残さなかったこと
叶井さんの遺骨は今も自宅に保管しており、お墓や仏壇はないという。今後も納骨する予定はない。ただ毎日、夫の写真や動画を見返し思い出を振り返っているという倉田さん。それも立派な供養だ。
倉田 冷たく聞こえるかもしれないけれど、骨を見ても夫だとは感じられません。生きている夫の骨なんて見たことがないわけですから、自分の記憶とつながらないんですよね。
そのかわり、夫の動画や写真は毎日のように見返しています。ただし自分が撮ったものでないと意味がない。私のカメラを通した動画には、そのときの空気や風景が全部くっついていて、夫がいた時間を丸ごと追体験できる。まだ全部は見終えていなくて、子どもが小さかったころのビデオをあえてとってあるんです。見つくすのが怖いから。
いちばんの後悔は、髪の毛を残しておかなかったこと。骨よりも、何度も触れて目にしてきた髪のほうがずっと夫を身近に感じられたはずだから。葬儀社の方が「遺髪を残されますか」と声をかけてくださっていたら、迷わず「お願いします」と答えていたと思います。混乱の中ではなかなか思い至らないものなので、専門家の方にはぜひそういう提案をしてほしいですね。
(涙を拭いながら……)すみません、こんなにすぐ泣くようになるなんて、自分でも驚きますよ。母にまで「え、そんなに悲しいの」って言われました。うちの母は、父が亡くなってから習い事を4つも始めて、毎日楽しそうに暮らしている。昭和の“ザ・亭主関白”な夫がいなくなって、解放されたんでしょうね。でも私は夫について我慢したことが一度もないから、いなくなって楽になったことなんてひとつもありません。
音楽も聴けなくなりました。歌詞が全部、夫のことに聞こえてしまうから。玉置浩二さんの『メロディー』なんて完全にダメ。テレビから不意に曲が流れてくるだけで涙がこぼれる。以前は作業しながら音楽を流していたのに、その習慣も失いました。
夫が亡くなったあと、死生観も変わりました。以前は健康で長生きしたかった。でも夫を見ていたら、早くに亡くなったからといって不幸とは限らないと気づきました。やりたいことを全部やって、食べたいものを食べて、一日一日を悔いなく生きた人でしたから。「思い残すことがあるとすれば、読んでる漫画の続きと来年の映画が観られないことくらい」と笑っていましたからね。
夫がもし何かを遺してくれたとすれば、それは「今を生きつくして死のう」という生き方そのもの。悔いが残るから死が怖い。だったら悔いのない毎日を積み重ねればいい。実は夫が死んだことで、死というものがほんの少しだけ怖くなくなりました。私も最期の瞬間まで満足だと言える毎日を送りたい。それが、あの人が身をもって教えてくれたことですね。(了)
《ゲスト紹介》
倉田真由美(くらた・まゆみ)
1971年、福岡県生まれ。一橋大学商学部卒業。2000年より「週刊SPA!」(扶桑社)で連載した『だめんず・うぉ~か~』が大ヒットし、「くらたま」の愛称で親しまれ、テレビのコメンテーターとしても活躍。2009年に映画プロデューサーの叶井俊太郎さんと結婚。近著に、すい臓がんの夫を自宅で看取った経験を綴った『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記〜』(古書みつけ)、『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』(小学館)など。
《「破天荒すぎる夫」叶井俊太郎さんを知るための3冊》
『エンドロール! 末期がんになった
叶井俊太郎と文化人15人の“余命半年”論』
叶井俊太郎さんが末期がんを公表した後、交流のある文化人15人と「死」をテーマに語り合った対談集。倉田真由美さんをはじめ、多彩なゲストがそれぞれの視点で叶井さんの“余命半年論”に切り込んでいる。死をタブー視せず、過激でユーモアあふれる対話を通じて「より良い死に方」を問いかける型破りな1冊。叶井俊太郎/著 発行/サイゾー 価格/1650円(税込)
『抗がん剤を使わなかった夫~
すい臓がんと歩んだ最期の日記〜』
余命半年と宣告されながらも、抗がん剤治療を選ばずに「普通」に生きることを貫いた夫・叶井俊太郎さんの闘病記録。日々の体調変化や感情の揺れ、夫婦で過ごした最期の日常が日記形式で綴られている。死を前にしても冗談を忘れず、独自の死生観でがんと向き合い続けた叶井さんの、力強くも軽やかな生命の記録。倉田真由美/著 発行/古書みつけ 価格/1650円(税込)
『夫が「家で死ぬ」と決めた日 すい臓がんで「余命6か月」の夫を自宅で看取るまで』
夫のすい臓がん発覚から自宅で看取るまでの640日間を克明に綴ったノンフィクション。抗がん剤治療を拒否し、最期までジャンクフードを楽しみ、仕事や遊びを謳歌した夫の破天荒な生き様を妻の視点で描いている。在宅緩和ケアの現実や、看取り後の癒えぬ悲しみ、葬儀での後悔など、切実な経験が詰まった1冊。倉田真由美/著 発行/小学館 価格/1760円(税込)


