今年91歳となった作家の阿刀田高さんは、2023年1月、レビー小体型認知症を患った妻・慶子さんを介護付き有料老人ホームへ送り出し、ひとり暮らしを始めた。その慶子さんが2025年5月、87歳で旅立った。みずからの死生観は「死は無である」と言い切るほど明快でありながら、キリスト教徒だった妻を、神のもとへ召されるように見送った阿刀田さん。それまでの介護の2年間、看取りの瞬間、そして自らの弔い方について、その向き合い方を語ってもらった。(文:樺山美夏 写真:江森康之)

夫婦での伊豆旅行時に発覚した、妻の認知症とパーキンソン病
司書として国立国会図書館に務めながら作家デビュー。1979年に短編集『ナポレオン狂』で直木賞を受賞後は専業作家となり、数多くの小説、エッセイを発表してきた作家の阿刀田高さんは、今年91歳となった。短編の名手として知られ、世に問うた短編の数は900篇超。1990年代以降は文壇の重鎮として、直木賞の選考員や日本ペンクラブ会長などの職も歴任してきた。
そんな阿刀田さんは2025年9月、『90歳、男のひとり暮らし』(新潮社)なる“老境エッセイ”を発表。ひとり暮らしの朝食作りから始まり、買い物のことやら税金のことやら老いてゆく身体のことやら、細かな日常のことが語られ、軽妙なユーモアと一流の教養という、あの“阿刀田節”はいまなお健在であることがよくわかる。そんな本書の最終部に収められたのは、「最期の『ありがとう』」なる1章。それは、阿刀田さんが長年連れ添い、2025年5月に87歳で亡くなった妻・慶子さんを偲んで書かれたものであった。慶子さんの“異変”に阿刀田さんが気づいたのは、2020年末。そこから2年間、阿刀田さんは自宅で慶子さんの介護をひとり続けることとなる。その“老老介護”の生活が限界だと気づいたのは、介護施設の職員が阿刀田さんの自宅を訪問したときであったという。
阿刀田高(以下、阿刀田)2020年の年末から翌年始にかけて、妻と伊豆の修善寺に旅行に行ったんです。宿に向かう途中から妻の機嫌が悪く、「ひとりで行けばいいじゃない」「私は帰ります」などと声を荒らげていた。現地に着いても、「あなたはひどい」とヒステリックに当たってくる。今まで見たことのない表情だったから、もしかしたら病気なのかもしれないと思いましてね。帰って病院に連れていったら、レビー小体型認知症にパーキンソン病も併発していることがわかりました。
それからは、私が妻を介護する生活が始まりました。ごはんを炊いて、おかずはスーパーで買ってきて、洗濯も掃除もして。ヘルパーさんにもほぼ毎日来てもらっていましたが、夜から朝にかけては2人きり。その間は下の世話もひとりでやらなければなりませんから、毎日の繰り返しが私の老いた体にじわじわとこたえました。
あるとき、妻が自宅の階段から転げ落ちて脊椎腰部を骨折してしまった。それで車椅子生活になってから、認知症の症状がいっそう進んだように思います。真夜中に私に水をかけてきたり、「離婚してやる!」となじってきたり。ヘルパーさんにも暴言を吐くので、私が代わりに謝ったこともたびたびありました。でも、もともとそんな人じゃなかったんです。
子育てが落ち着いた50代から妻は、「本気でできることをやってみたい」と、朗読家の道を歩みはじめました。カルチャー教室で学び、師匠に師事して、日本点字図書館の朗読員になり、私の短編小説を読む「朗読21の会」を結成して全国で公演を重ねていました。舞台にひとりで立って朗読するプレッシャーから「ヒステリックになることもあるだろう」と私が受け止めていたりもしたのですが、あれも病の予兆だったのでしょう。人が変わったように妻の気性が激しくなったのは、本当につらかった。
ある日、私の担当編集者に紹介された介護施設の職員が我が家の様子を見にきてくれて、私にこう言いました。「この家は危機的状況です。このままの状態があと半年続けば、あなたも共倒れになりますよ」と。当時のことはよく覚えていないんですが、はたから見れば相当追い詰められていたんでしょうね。
子どもたちとも相談して、2023年1月、近所の介護付き有料老人ホームへと妻を連れていきました。本人がすんなり受け入れるはずはないから、「新しいデイサービスに行ってみよう」と嘘をついて、タクシーに乗せて。妻を施設に預けたら、私はさっさと帰りました。あのときはそうするしかなかったから、罪悪感はなかったですね。
妻に嘘をつき続けた2年4カ月 「家内より先には絶対に死ねない」
施設側から3カ月は面会を控えるよう求められた阿刀田さんは、妻の友人知人の見舞い申し出もすべて断った。面会を許可されてからも、妻のためにひたすら嘘をつき続けたという。
阿刀田 施設から3カ月面会を禁じられたのは、自分に別の居場所があったことを妻に思い出させないようにするため。だから、面会が許されてからも嘘をつき続けました。「ごはんはどうしてるの?」と聞かれれば、「いま本を書いている新潮社の寮に世話になっている」と。本当はひとりで自炊しているんですが、妻に自宅のことを思い出させたくなかった。嘘をつくのは作家の商売ですからね(笑)。帰るときも「本を書かなきゃいけないから」と言って施設を後にして。妻は、私の本をたくさん出している新潮社を信頼していたから、「ああ、そう」なんて言って疑いもしませんでした。
妻の友人知人から見舞いに行きたいという連絡もありましたが、全部お断りしました。友人が会いに来てくれれば、そのときは妻も喜ぶでしょう。でも友人が帰った後、施設とは違う生活があったことを思い出したら、それは本当に辛いと思うんです。だから、施設が自分の居場所で、ここにいると幸せだと妻に思ってもらうため、本当にいっぱい嘘をつきました。
施設での生活に慣れた妻はやがて、「ここはわりといいところね」と言うようになりました。私と会うのを何より楽しみにしていてくれましたから、絶対に家内より先に死ぬわけにはいかないと、気を張って暮らしていましたね。妻が亡くなる2カ月前、施設の人たちと切り絵の雛人形を作ってくれたんです。しかめっ面をしている男雛が私、にこにこ笑っている女雛が自分だと言って見せてくれました(笑)。今もリビングに飾っているこの雛人形を見ると、妻に嘘ばっかり言っていたなと思い出しますね。
妻が亡くなってから、肩の荷がおりました。今は完全に解放されて、毎日自由に、いい加減に生きています。天気予報を見ながら、「あさっては雨だから施設に行けないな」なんて、つい思ってしまうことは、まだたまにありますけどね。
キリスト教徒だった妻の信仰心を、最期も尊重してあげたい
「死は無」という死生観を持つ阿刀田さんと、キリスト教徒の慶子さん。信仰を巡り何度も議論を交わした2人だったが、妻が旅立つときには、慶子さんがキリスト教徒として神に召されるように見送った。
阿刀田 妻が亡くなる10日ほど前、面会しに行った私の手を、突然、妻が握ってきたんですよ。「おじいちゃん大好き」と言って。孫もいない場で私のことをおじいちゃんと呼んだことはなかったし、大好きなんて言葉も普段は言わなかったから、驚いたというより笑ってしまいましたけど、そう思ってくれているのならよかったな、と。
妻が苦しそうにしていると施設から呼び出しがあったとき、次男と一緒に駆けつけたら、少し様子が落ち着いたんです。「ああ、よかった」と思って、「慶ちゃん、慶ちゃん」と呼びかけたら、表情が動いたんですよ。「ありがとう」の意味だと私は受け取りました。
妻はもともとキリスト教の信者で、私との結婚を機に洗礼を受けました。独身時代とは違う人生を、キリスト教徒として自分なりに考えて生きてみようという思いがあったようです。私は若いころサルトル(実存主義の哲学者・作家)を愛読していましたから、いわば“アンチキリスト教”のほう。人は死んだら「無」になるだけで、死後の世界も神も信じない私と、死んでも魂は滅びず復活を信じる妻。結婚してからは、妻と信仰について何度も議論しました。
60年間、それぞれ異なる死生観を持って暮らしてきましたが、妻の病状が悪化するにつれ、キリスト教徒としての最期を整えてあげることを真剣に考え始めました。妻はよきキリスト教徒として死にたいと思っていたはずですから、たとえ自分と死生観が違っても、彼女の信仰心だけは尊重したかったんです。
そこで、ご縁のあった牧師さんに相談していましたが、死ぬ前に手際よく準備するのもどうかと思いまして。結局、臨終には間に合わなかったけれど、妻が亡くなったのは朝の9時で、牧師さんが夜の10時に施設まで来てくださいました。それから1時間ほど、キリスト教の儀式でちゃんと見送ることができました。

60歳だった母をひとりで看取り、「もう苦しまなくていいんだね」
神もあの世も信じない。その確信はどこから来るのだろうか。死生観を考えるきっかけは、中学生のころの思索と、大学生のときに他界した母の看取りの経験があった。
阿刀田 死は無である、という考えに至ったのは、わりと早かったと思います。私は双子で先に生まれたのですが、弟は1歳にならないうちに亡くなってしまいました。当時のことは覚えていませんが、中学生のころにこんなことを考えたことがあります。あの世があるなら、同じ生き物の人間だけ例外であるはずがない。動物にも当然あるはずだと。でも、どう見ても動物にあの世があるとは思えない。それは人間だって同じだろうと。
まあ、極めて幼稚かもしれないけれど、もともと理系気質で合理主義のところもありますから、「案外正しいかな」と今でも思っています。
大学生のころに母をひとりで看取ったときも、この考えは変わりませんでした。当時、東京でひとり暮らしをしていた私がたまたま浦和の実家に戻ったら、母の呼吸がおかしかったんです。その時は私しかいなかったので、慌てて病院に連絡すると、医者から「死ぬわけじゃない」と適当にあしらわれまして。仕方なく実家に戻ってしばらくすると、私のそばで母は息を引き取りました。兄や姉たちは不在でしたけど、母は私を特別かわいがってくれましたから、いちばん愛している人がそばにいるときに人は死ぬものなのかな、と思いましたね。
私が16歳のときに父が急逝して家が傾いたので、母は貧乏で苦しい生活を送っていました。だから母が亡くなったときには、「もう苦しまなくていいんだね」と、正直に言うとホッとした思いもありました。母はまだ60歳でしたけど、生きていること自体が苦しそうで、かわいそうな人でしたから。
91歳まで生きてみれば、「やりたいことはどれも終わった」
阿刀田さんは、若い頃から何度となく病と闘ってきた。それだけに、自身が91歳まで生きられていることが意外な様子で、死に対する不安や恐怖もまったくないようだ。
阿刀田 私は20歳のとき、肺結核を患って療養所に入りましてね。当時は結核で亡くなる人が多くて、姉も結核で亡くしていましたから、自分もそうなるものだと覚悟しました。療養のために大学を休学して、お金がなくて手術ができなかったので、抗生物質のストレプトマイシンの注射を184本も打って1年半もベッドの上で過ごしました。 この先どうなるのかという不安はありましたけど、入院中に日本や海外の文学作品を手当たり次第に読みましてね。それが後年、小説を書く上での大きな力になったと思っています。それに、184本の注射が効いたから今があるのかもしれません(笑)。長年、狭心症も患っているので血管のステント手術を3回受けていますし、90歳で初期の胃がんも見つかり摘出しました。まさか、こんなに長生きするとは思いもしませんでしたよ。
子どものころから、死が身近にある感覚を持って生きてきたような気がします。だから、何事も“まあまあ”でいい。91歳まで生きてみれば、もうやりたいこと、やるべきこと、やれなかったが仕方のないこと、どれも終わりました。5月に出版された最後の短編小説集『掌より愛をこめて 阿刀田高さいごの小説集』では、倫理的に非常に書きにくくなった男女の性の問題も扱ったので、もう思い残すことはありません。
私が死んだら、「棺桶に特上の寿司を入れてくれればそれでOK」
最後に、みずからの弔いについて聞いてみた。“まあまあ”で生きてきた阿刀田さんの言葉には悲壮感がなく、むしろユーモラスで清々しかった。
阿刀田 葬儀をはじめとした供養は、生きている人がやることで、死んだ私には関係ありません。出版社がお別れの会を企画するかもしれないけれど、やりたいと思う人たちがいたら、どうぞご勝手に、適当にやってください。墓もいりません。私の骨と家内の骨を混ぜて砕いて、子どもたちの家のリビングの壁に塗り込めてよ、と言ってるんですけどね。家族団欒の場に一緒にいられるじゃないかと。でも、クールな家族だから、「気味が悪い」とか「引っ越しするときの壁はどうするんだ」とか、適当にあしらわれていますね(笑)。
ただひとつだけお願いするとしたら、棺桶の中に、お寿司だけは入れてほしいです。お寿司が大好きだから。ネタはなんでもいいけど、できれば特上で。うちの子どもたちは「どうせ焼くんだから、並でいいや」なんて言いそうな気がするから、一応ここで言っておかないと(笑)。
「ひとり暮らしだと孤独死が怖くないですか?」ってよく聞かれますけど、怖くないですね。どんな人だって最後はみんな孤独死ですよ。どこで亡くなっても、死は自分だけで迎えるものですから。ただ、残された家族が困るだろうから、適当に早く気がついてほしいとは思っています。実家に帰ったら親父が腐ってた、なんていうのはさすがに避けたい(笑)。
最後に食べたいもの、見たいものも特にありません。痛くも苦しくもなく、自然にすっと逝きたい。夜寝ていたら翌朝死んでいて、その日来てくれた誰かが驚いて笑ってくれるのが理想ですね。
《ゲスト紹介》
阿刀田 高
あとうだ・たかし 1935年、東京都生まれ。91歳。作家。早稲田大学第一文学部文学科仏文学専修卒業後、国立国会図書館に11年勤務。1979年、『ナポレオン狂』(現在は講談社文庫)で直木賞受賞。1995年、『新トロイア物語』(同)で吉川英治文学賞受賞。900篇を超える短編小説を発表し「短編の名手」と称される。日本ペンクラブ第15代会長、直木賞選考委員などを歴任。2018年、文化功労者に選出される。近著に『90歳、男のひとり暮らし』(新潮社)、『掌より愛をこめて』(同)など。
《阿刀田高さんの最新著作》
『90歳、男のひとり暮らし』
妻が介護施設に入所し、突然始まったひとり暮らし。そのモットーは「“まあまあ”でいいじゃないか」。簡素に食事をととのえ、落語は読んで鑑賞、旧知の場所を訪ね、亡き人の思い出に親しみ、眠れぬ夜は百人一首を数える。迫りくる老いを受け止めながら、脳と体の衰えを知恵とユーモアで迎え撃つ。直木賞作家の「老年のヒント」。
発行:新潮社 価格:1870円(税込)
『掌より愛をこめて 阿刀田高さいごの小説集』
「みんな語らないけれど、本当は語らなければならないことに少し触れたかな、という思いがあります」。阿刀田さんがそう語る最新短編集。男女の性と愛をテーマに、倫理のきわに踏み込みながら、人間の生存そのものに根ざした問いを短編の形で問い直す。「性の問題は倫理の問題であると同時に、人間そのものの生存に関わる問題でもある。完全に否定してしまうと、それは人間性の否定にさえなりかねない。その辺をどう折り合いをつけていくかを書くのが小説家の仕事でしょう」。短編の名手が書き下ろした、集大成の小説集。
発行:新潮社 価格:2090円(税込)



